ミコ、二歳十ヶ月

相変わらず、ミコの言語成長に驚かされる日々。びっくりするような高度な発言を的確にしてくるので、その度に「これは記録しておかねば!」と思うのだが、日々の雑事に追われて思うほど実行にうつせていない。反省。。忘れる前に最近親が感心したミコ発言録をつけておく。

1)
ミコが寝ているコトの目を人差し指でちょんちょんつっつく。
私「あー、ミイちゃん、強くツンツンしないで。優しくして!」
ミ『起きるかどうかやってみただけだよ。』


2)
私「ミイちゃん、パッパのこと好き?」
ミ『すき』
私「マミーのこと好き?」
ミ『ふん(大きく頷きながら)、すき』
私「バアバのこと好き?」
ミ『ふん(大きく頷きながら)、しゅき』
私「コトちゃんのこと好き?」

首を傾げて考えてた後、
ミ『すきじゃない。最初すきだったけれど、今はすきじゃない。』

私「どうして好きじゃなくなったの?」
ミ『みんな、コトちゃんのところに行くから。』


言語以外の成長記録としては、二歳半頃から、急に色々な色(赤、青、黄、オレンジ、ピンク、茶、水色、白、黒)を識別できるようになった。幼稚園に行き始める前に自分でできることを増やしておいた方がよいという親の判断から少しずつ自分で自分のことをするようにしむける。その結果、自分でシャツのボタンを外して脱いだり、パンツを履いてチャックとボタンをとめたり。靴下、靴(マジックテープのもの)も自分で履けるようになった。ボタンをかけるのが大好きで、大人の服、自分の服、必要不必要に関わらず、目に入った洋服のボタンを片っ端から外してははめている。

また、通園三週目より、幼稚園の幼児用トイレで自分で座っておしっこ&拭くことができるようになった(うんちはまだちゃんと拭けないので親が拭く)。自宅トイレに踏み台を導入してからは、大人用のトイレにも自分で腰掛けて用をたすことができるようになった。←13キロの彼女を持ち上げる必要がなくなって親は楽になった。

幼稚園三週目

三週目も、引きつづき12時半お迎えにしてもらう。朝の別れ際ももうミコは泣かなくなった。それどころか、自分から教室のドアをノックして入っていく。一瞬緊張した面持ちをし、しばらく仁王立ちしたままクラスの中を見回しているものの、もう後ろは振り向かない。

12時半に私がお庭へお迎えにいくと、さも嬉しそうな、恥ずかしそうな笑顔を見せてくれる。先生も、「ミコはすべて理解している。いつも静かにしているけれど、幼稚園の環境には満足していると思う。」と言う。毎日喜んで幼稚園へ行くようになる。唯一先生とまだトイレに行けていないのが不安だが、出産予定日も一週間を切ったという私の都合もあって、四週目からミコの園滞在時間をマックスの14時半(お昼も幼稚園の食堂で食べる)までにすることにする。

コト、生後17日検診

出生→退院後、初めての小児科検診に行ってくる。入院中は、毎日小児科医による新生児検診があり、退院後は通常、生後一週間、一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月時に検診に行く。ミコの時は、生後一週間が年末年始にかかっていて先生がお休みだったため、結局生後三週間に退院後初めての検診を受けた。二人目ということで検診内容も分かっていたので、コトも退院後間もない頃の一週間検診をスキップし、生後二週間半で退院後初検診を受けることにした。


体重 3100g (誕生時2710gより+390g)
身長 50cm (誕生時48cmより+2cm)
頭囲 35cm (誕生時33cmより+2cm)

最初の検診でまず初めに先生がチェックすることは、体重が増えているかどうか。生後数日間で赤ちゃんは誕生時より約10%体重が減る。落ちた体重を一週間かけて回復し、その後三ヶ月まで週170gほど増えていれば順調に成長していると見なされる。コトは生後二週間半。一週目で2710g、二週目で2880g、二週半では2965gになっていれば「平均」とされる。二週半で3100gの彼女は合格点。先生に"bravissima!"と褒められる。「急激に増え過ぎ?」と一応聞いてみると、もともとが小さいからこの位増えても全然問題ないとのこと。

ミコの時は、体重が増えずに悩み、毎日乳児用体重計とにらめっこしていたことを思い出す。今回は、母乳も産後三日目から軌道にのり(ミコのときは七日目から出始め、二ヶ月半まで7(母乳)対3(粉ミルク)、二ヶ月半以降、卒乳の十三ヶ月まで完全母乳)、母乳育児のトラブル(乳腺炎、吸われ傷など)にもうまく対応できた。ミコの時は、「死んでしまったらどうしよう!」と、とくに最初の三ヶ月はこわごわ育児していた。コトとは、二人目だからか、良く寝てよく飲み、見るからに元気そうだからか、あまり泣かないからか、ずっとリラックスしてお世話をしている。

体重、身長、頭囲をチェックした後は、股関節をゆっくり回して異常(脱臼していないか)がないかどうか検査。「クリックする音が聞こえる。自然に治ることもあるから、オムツを二重にして常に股をM時型に開いた状態にしておくといいわ。」と先生に言われる。ちょっと心配だが、痛がっている様子や異常な動きはない。経過を見守ろう。

後は、私の妊娠の経過(悪阻3ヶ月間6kg減、妊娠前+9kgで出産)、出産形態(自然分娩)、授乳回数(8回)、授乳時間(一回30分)、排便(一日5-6回)を聞かれる。一ヶ月検診は二週間弱後になるが、来る必要があるかどうか聞くと、今の時点で母子ともに順調(母乳と体重ののび)なので、順調に子どもの体重が増えていれば二ヶ月検診まで来なくてもよいとのこと。引越ししてからクリニックが大分遠くなったので、特に心配ごとがなければ、行かないつもり。

最後に聴覚検査とビタミンK&Dを処方してもらってお終い。

無敵なかわいさ ー第一子と第二子とどっちがかわいいかー

コトが生まれる前に心配していたことが二つあった。一つは、第二子を第一子と同じほど愛せるかどうか。

私は残念ながら妊娠出産を楽しめる類の人ではなかった。その期間の大半は私にとって身体的精神的痛みや苦しみであった。痛みも含めて、一生物(人間)の「生」や「体」のしくみを体感できたことは確かに非常におもしろい経験だった。自分の体を自分以外の人に徐々に支配されていくプロセス、そして同時にその存在を自分の中で大切に育てていくなんて、天地がひっくり返るような経験だった。初めて胎動を感じたとき、超音波で人間の形をした胎児を確認したとき、そして何よりも「ふんぎゃー!」という第一声をきいたとき、ああ、これが「生」なんだと理屈抜きに体で感じ、それなりに感動もした。とは言ったものの、このプロセスをもう一度やりたいかと問われたならば即答で「ノー」!特に妊娠全期間を通してお腹の中の子の健康や生死を心配しつづけることと、悪阻期3ヶ月間の寝たきり生活はもう経験したくない。

では、どうして第二子を持つことにしたのか。それは、第一子ミコを一人っ子にしたくなかったため。順当にいくと親は先に死ぬ。親の死後、肉親で頼れる同世代の人をミコに残してあげたかった。成長する過程で、兄弟姉妹と喧嘩・仲直りしたり、譲ったり譲られたり、我慢したりさせたり。また、同じ経験をシェアしながら一緒に成長することによって幅のある人間に育ってほしいという気持ちもあった。つまり、第二子は第一子のためにうんだようなものだった。こう言い切ってしまうと、第二子が可哀想だがそれが本当のところだった。親として失格だとは思うが、出産前は、第一子ほど第二子をかわいがれるかどうか真面目に心配していた。ミコがかわいくて、かわいくて、これ以上の存在がでてくる可能性が信じられなかったのだ。

ところが、生まれてびっくり。第二子がかわいくて仕方がない。真っ赤な顔をしたおさるさん顔、ふにゃふにゃごろごろ猫のような動き、きょろきょろ辺りを見回す目、バンザイポーズと泣き始める時のふえ〜んという顔、全く警戒心なく身をこちらに委ねるその姿、どれも皆かわいくてかわいくて仕方がない。母は「さすがのミコもこのかわいさには適わないわね」なんて言っているが、まさにその通り。今のミコにはない頼りない弱々しい、新生児期独特のかわいさなのだ。

母と私は第二子コトにメロメロなのだが、H君は相変わらずミコ優先。コトとミコが同時に泣けば、ミコの方へ走る。そして私の方を向いて、「赤ん坊が泣いてるよ。」なんて涼しい顔をして言う。コトが生まれて2週間経つが、抱っこしてあげてと私がお願いするまで5分以上抱っこしたこともなかった。ためしに、「君、ミコの方がかわいいんでしょう?!」と聞くと、『だって、この子(コト)まだサルだもん。』なんて答えが返ってきた。

子どもを産んで男女の性差を実感することがよくあるが、これもその一例。母親はいわゆる母性ホルモンの影響で産後すぐに「赤ちゃんかわいい!」モードが炸裂するが、父親はそういう体の変化がゼロなのだ。(←まわりのママ友に調査した結果もみんな同じ答えだった)「赤ちゃんかわいい!」モードを過去に体験している母も体験的記憶からスイッチが入る。それにしてもうまくできている。一番身近で食(おっぱい、ミルク)を提供してくれる母親は赤ちゃんの虜になるようにプログラムされているのだ。産前の私の心配は無用だったというわけだ。授乳している間はずっとコト優先になることだろう。

コト出産記 その2

子供がでてきたあとは、これまで体内で母体から赤ちゃんに栄養を送りつづけてくれた胎盤をださなければならない。ミコの時の経験だと、赤ちゃんが出てきたあと、軽い陣痛がきて、ちょっとイキむとぬるりとでてきた。が、今回は短期決戦で力を使い果たしたせいか、自力で押し出す体力も残っていなければ、それを助ける陣痛もこない。看護士は先生に子宮をマッサージして胎盤を押し出すように助言する。先生は「そうね」とためらわず思いっきりお腹を押す。うっと痛みを感じると同時に、ぬるりと温かく大きなものが外にでてきた。後産完了。これで、出産自体はお終い。

ミコの時と違って、カンガルーケアはせず(おそらく私があまりに震えて、疲れきっていたため)赤ちゃんはすぐに検査のために別室につれていかれる。ろくに顔も見ていないが、出てきてすぐに「ふぎゃー!」という泣き声が聞こえたので、赤ちゃんは大丈夫だと安心する。その後、私は痛みどめの麻酔の注射をされ会陰縫合。これがまた痛い!何カ所も刺される度にうっと短い悲鳴を上げる。注射の回数(10回くらい?)からすると、麻酔しないで縫った方がかえって痛みが少ないのでは?と、ミコの時に思ったことと同じことを思う。ああ、この後一ヶ月椅子に座れず、この傷口が痛むんだった、と忘れていたことも思い出した。

H君は、赤ちゃんのいる隣の部屋に呼ばれて、へその緒を切る。その後、分娩室に戻ってきて、へその緒がどんなに太くて堅かったかを嬉しそうに報告しにきた。そして、「君はよく頑張りましたよ。」と言う。私にとっては苦しみ99%、喜び1%の出産だが、H君にとってはエンターテインメント100%の出産(立ち会い)なのだ。ミコのときも、コトのときも、出産1週間前から「まだ〜(生まれないの)?」と毎日聞いていた。

産後、イタリアの法律にのっとって2時間、赤ちゃんは新生児室で管理保護される。私はまだかな、と思いながら昏睡状態から覚醒したかのような体で天井を見上げていた。不思議に疲れは感じない。長い間かかえていたつきものが晴れたような爽快感を覚える。出産したこと、新しい命(自分の子供)が誕生したことも遠い世界の出来事のような、未だに信じられないような不思議な感覚に包まれていた。

夜中の0時頃、個室にコトが連れてこられた。ちっちゃい!この子が今まで自分のお腹に入っていたと思うと小さくないが、もうすぐ3歳になるミコを見慣れているせいか、とても小さく見える。ずっとバシネットの中で寝ている。こわごわと抱き上げてみると、コトは一瞬目を開いて、ふたたび眠りについた。この子はどうやら神経質ではない子のようだ。生命力もありそうだ。ミコを初めて抱いた時、今にも消え入りそうなくらい弱々しく泣いていて、それを見た私も「ごめんね。。」と一緒に泣いてしまったのを思い出す。
ミコの時は(私が産後の弱った体と不慣れから)こわくてできなかったが、今回は、コトの状態もみて、母乳育児を軌道にのせるためにも赤ちゃん同室を希望して一緒に眠りについた。とはいっても、一日目は、やはり気になってほとんど眠れず、翌朝5時に看護士さんに「赤ちゃんを預かってあげるから寝なさい!」と優しく怒られて寝ることになったのだった。

後日先生に聞いた話だが、この看護士さん、私の出産後、「なんて自然で美しい出産なの!」と感動して泣いてしまったそうだ。イタリアで珍しい自然分娩だということと、私が悲鳴や叫び声を上げたりせずに静かに出産したことが「belissima!」だったとのこと。出産した本人は、生まれたばかりの赤ちゃんに麻酔薬が少量でもいくことがイヤだったのと、疲れすぎて声をだす元気がなかっただけなのだが(ミコの時も同じく、省エネ戦略で叫ばず静かなお産だった)、出産に携わってくれた方に喜んでいただけて何より♪

コト出産記 その1

2010年10月23日土曜日、第二子コト出産。記憶の新しいうちに出産の備忘録を書いておこう。

予定日一日前の金曜日の夜。
10分間隔で規則的な陣痛がきていることに気付く。あ、きたかな、と思ったものの、痛みがそれまでの不定期の陣痛(ミコのときと同じく、妊娠6ヶ月頃より不定期の陣痛あり、36週あたりから一日10〜20回)と変わらなかったのでしばらく様子をみることにする。先生からは、陣痛が10分おきになったら携帯に電話をするようにと言われていたが、まだな気がして電話はしないでおいた。

浅い眠りながら眠りにつく。翌朝起きると、陣痛が止まっている!ミコのときの経験では、規則的な陣痛が始まって2日後に出産となったが、その間陣痛が止まるということは無かった。不安になってネットで検索してみると、本陣痛が始まっても途中で止まることは珍しくないとのこと。6週間手伝いに来てくれている母もそうだったと言っている。安心して、メルカート(市場)へ買い出しにいくことにする。

アパートの3階から階段で地上まで降りて、バス停まで3分歩き、バスに揺られて20分。品揃えのよい大きなメルカートへ皆でいく。目的は、私が体を動かしてなるべく出産を早めるためと、母にアジア中東系の野菜が買える野菜屋さんを教えるため。里芋、サツマイモ、オクラ、ショウガなど、他のメルカートでは買えない野菜を中心に、二輪つきの買い物かごいっぱい買いこむ。その後、メルカート近くのH君お気に入りのこじゃれたレストランで昼食。「これが出産前の最後の外食かもね。もう、しばらく外でご飯食べられなくなるね。」なんて話をしながら、シーフードのアンティパスト、グリルパスタ、ウニのリゾットを食する。

13時半、レストランに入ったころから陣痛復活。試しにH君の腕時計を見ながら、テーブルに敷かれた紙の上に陣痛の時刻を書き留めてみると、8分間隔できている。これまで感じてきた陣痛よりも多少強い。これかな?、でも、まだ大丈夫だろうと、帰りもバスに揺られて、アパートの階段3階を上って家に戻る。まだ時間はあるだろうが、そう遠くないとの判断で、H君はカーシェアリングの車を取りにいく。私と母は小粒ベリーのケーキと紅茶をいただきながらのんびり過ごす。陣痛は、徐々に、でも確実に強さを増していく。17時、とうとう先生に電話をして2時間後に病院へ行くことを告げる。先生もその時間に病院に来るという。

18時、H君、韓国食材店で食材(お米、キムチ、乾麺など)買いだし後帰宅。その頃にはこれはきていると確信する程度の強さになっていたので、まとめておいた荷物を車に乗せて皆で病院へ向かう。6-8分間隔でくる陣痛の度に、大きく呼吸を繰り返しながら、座席上で腕を腰にあてて腰をくるくる回した。こうすると、痛みが多少そらされる。町中は土曜日の夜ということで渋滞。一時間近くかかって、病院へたどり着く。

19時頃、病院到着。先生はすでに廊下で待っていて、すぐに診察。入院書類一式(数週間前に行った血液・尿・超音波・心電図検査、立会人(H君)のサルモネラ菌検査結果)を看護士さんに手渡す。触診した先生の一言目は、「わおー、5センチ開いてるわ!あなたは私のベストな患者よ!」

個室に案内され、手術着に着替えて、胎児の心電図チェックと浣腸。モニターで陣痛の波と胎児の心音が呼応していることを確認。点滴で抗生物質注入。数週間前の検査で、産道にバクテリアがいる可能性ありとでたためだ。500mlすべて入ると、液体は砂糖水に切り替えられる。胎児の心音が早めなので、落ち着かせてあげるためにとのこと。砂糖水の効果はすぐに数値に表れる。「あ、この子、落ち着いてハッピーにしているわ」と先生が言う。

一通りの検査が終わった後、先生と看護士は個室をあとにする。開放された私は、陣痛と陣痛の合間に点滴ホルダーをガラガラ押しながら、ミコと廊下をお散歩。陣痛の波がくると、「ミイちゃんちょっと待って。」と言って止まって、呼吸を整えながら腰回し。ミコは、いつもと違う雰囲気なのを察知してかその間大人しくじっと見ている。

20時頃、個室に戻り、先生が再び触診すると、子宮口は8センチ開いているとのこと。ミコの時は、5センチ以降より、数分置きにお腹全体に電気ショックが走り、腰の下部に激痛が襲ってきていた。が、今回8センチの時点で、電気ショックと腰激痛がまだない。さらに陣痛の間隔も長い。え?もう8センチ?本当?看護士さんは陣痛の度に上手にお腹を抑えてくれて、「自然に生むなんて偉いわ!(イタリアは無痛分娩が主流)」と褒めてくれる。先生は、あと30分くらい待って破水しなければ人工的に破水させると言う。羊水の中に含まれる成分が陣痛を促進させる働きをするからだ。

20時半頃、ミコの時と同様、先生は突起のある棒(アイスクリームの棒のようなもの)でちょんとつついて破水させた。経験から、その直後に激痛が襲ってくることを予期したものの、その後少なくとも10分程度は陣痛の波は変わらず。あれ、おかしいな?と思う。先生も看護士さんも、「随分陣痛の間隔が長いわね。長いけれど、陣痛が来ている時の時間も長いのね。」と私が思っていることを口にしている。

激痛は突然やってきた。腰痛は皆無だったものの、お腹全体への電気ショックに、うわわわわと気を失いそうになる。激痛レベルはマックスになったものの、陣痛間隔は相変わらず長い。激痛期に入って20分もしないうちに、看護士さんが「あら、やっとマークが見えたわ!」と言ったかと思うと、先生が「イキみたい?(プッシュしたい)?」と聞いてくる。ミコのときもそうだったが、イキみたいという感覚は無い。が、積極的にイキみたくないという感覚もなかったし、この痛みから少しでも開放されるプロセスへ移行したかったので「はい!」と答える。

その時きていた陣痛の波をやり過ごした後、ベッドごと分娩室へ運ばれる。廊下で遊んでいたミコにミイちゃん〜!と手を振ると、H君は「え、もう移動するの?マミー笑ってるよ。余裕だね〜」なんて言っている。余裕じゃないけれど、愛娘に心配させたくないでしょう!これだから産まない人は!なんて思う。

21時過ぎ。分娩台へ移動。先生は、「いい、陣痛が始まったら息を思いっきり吸うの!その息を体内にとどめたまま、両サイドのハンドルをオールをこぐように思いっきり手前に引っ張ってプッシュするのよ!うんちするみたいに押し出すの!大切なのは、息を吐き出さずに体内にとどめたままプッシュすること!」と分かりやすくイキみ方を説明してくれる。そして、陣痛がくると、はい吸って!と一緒に息を吸うマネをして、はいプッシュして!、はいストップ!息を整えてヒーフーヒーフー!と誘導してくれる。

ここにきて、さっきまでの長い陣痛の間隔がうそのように、次から次へと電気ショックが襲ってくる。え、このイキむステージってこんなに苦しかった?ミコの時はもうちょっと間隔が開いていた気がするんだけれど。。もう間隔を置かずに襲ってくる陣痛に気を失いそうになりながら、ひたすら先生のマネをくり返す。早くこの激痛から逃れたい!そのためには出さなくては!

先生のジェスチャーの通りに、思いっきり息を吸って、口の中に綴じ込め、ハンドルを思いっきり引き、うーんとイキむこと3、4回。ぶちっと会陰が切れる鋭い痛みとともにぬるっとしたものが外にでてきた。え、もう出てきたの?と思うと同時に、やっと楽になれると安堵する。

とはいうものの、出産はここで終わりではない。