ローマ=不滅の娼婦

東京からローマへ戻ってくる飛行機の中で、塩野七生の「イタリアからの手紙」を読んだ。彼女が今の私と同じくらいの年齢の時に書いたエッセイ集。永遠の都と形容されるところは世界中でローマしかない、という文章ではじまったエッセイに、これまでぼんやり思っていたことを、感じていた以上に上手に言葉にしてくれている。以下抜粋引用。


私には、ローマが、不滅の娼婦のように思えてならない。自らは、何一つ努力して生産するということをしらない、だがそれでいて、金を出し養ってくれる男に不自由しない美しい娼婦。もうだいぶ年増女になっているのだが、未だに将来を思って貯蓄するとか、生活設計を考えることなどに無縁な女。

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最初のパトロンローマ帝国だった。

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つぎのパトロンは、ローマ・カトリック教会である。ー省略ー
このパトロンは相当に長生きし、彼女の望むままに、彼女にぜいたくをさせてくれた。彼女は、最初のパトロンの時代、大理石の円柱や彫刻で着飾っていたのが、この次のパトロンは、彼女を、ルネサンス時代最高の絵画や建築で包んでくれたものだった。

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1870年、ヴェネツィアフィレンツェなどの小国に分かれていたイタリアが統一された。カトリック教会も、これでローマを中心とする領土を失い、ヴァティカン公国内にこもってしまうことになった。パトロンなど、もはやしていられない時代である。

しかし、ローマは、またも男に不自由しなかった。統一後のイタリアが、首都をローマにきめたからである。ー省略ー
イタリアは、パトロン顔などできないほどの貧乏な国だったが、それでも、ぜいたくさえいわなければ、生きていくのに困るわけではない。

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しばらくして観光客という、団体客のパトロンもついた。これもまた、彼女を着飾らせてくれる能力もない庶民階級なのだが、彼女が前の二人のパトロン与えてくれた衣装を見せてやるだけで、この団体客は満足し、少しながらも金をおとしてくれる。こんな風にして、ローマは、二千年の間、老残の身を野たれ死にすることなく、生き続けてきたのである。


「ローマ=不滅の娼婦」という表現に感嘆。「ローマは過去の遺産で生きている」とよく言われる。その過去の遺産(遺跡、ルネサンス期の芸術)をパトロンからのドレスとみたて、ローマを生きつづける娼婦とした表現には、ローマにある程度馴染みのある人なら、ああ、それがローマだ!まさにそうだ!と思うだろう。

そして、この娼婦、娼婦でありながら人に媚びたりしない。自由気ままに、好き勝手しているだけで、その魅力に取り付かれた男達が永遠に貢ぎつづけるのだ。そこまでの魅力の正体は一体何か?その一部を二つあげてみるとすれば、まずは彼女が持つ自信。自分が最高の女であるということに対しての微塵の疑いもない自信。そして、過去も現在も未来もずっとローマであり、ローマに未来永劫居続ける、その微動だにしない安定性というか、当然のような決意のようなもののように感じる。

ローマは本当に美しく魅力的なのだ。そこに住んでいても、時折その美しさに感嘆する。