34歳!

34歳になった。ここ数年、誕生日がくる度に自分の年齢に驚いている私。気分的にはまだ20代後半にさしかかったくらいなのだ。年々、実年齢と年齢感覚がずれてきて、段々感覚の方が追いつかなくなってきた。

33歳を振り返ってみる。すべてはミコに始まって、ミコに終わった。忙しさも、喜びも、悩みも、切なさも、彼女の成長とともに上下左右し、今では彼女中心の生活にすっかり馴染んでいる状態。ここ一年間に読んだ本はほとんど育児書関連で、ネット検索の内容も7割が乳幼児関連。特に最初の半年なんてニュースも全く見てなかったほど。ここまでどっぷり彼女にはまって社会から離れていて大丈夫だろうか?と時々冷静に考える。が、幸いにも必要とされているようなので、その限りそうしよう、そうしたいと思う。これが今の私の幸せ。きっとこういう時期も長くてあと1、2年なのだろうと想像する。

ミコとの関係とは反対に、H君との夫婦関係はこれまでで一番悪い一年だった。結婚する前と後では全く問題なかったのだが、妊娠出産、そして二人から三人への生活は二人にとって大きな変化だった。ミコとの三人の生活が軌道にのるにつれて、関係は徐々に修正されてきたが、これまでにないほど沢山言い合いをし、泣いた一年だった。今から考えると、なんであの程度のことであそこまで怒っていたんだろう?ということが多いが、初めての母親経験は、特に初期のころは喜びよりも「これでいいのか?」、「この生き物(=ミコ)をいかに毎日生かしておくか」という責任や不安によるストレスの方が絶大で、相手を思いやる余裕を失っていたのだ。

今後このような状態の再発は避けたいが、同時に、この時期はこれで仕方が無かったのかな、とも思う。育児は、想像していたよりもずっと大変で、今後も、大きな病気や怪我をしたりなど、いろいろ予期しない出来事があるのだろうと思う。でも、それを一つずつ乗り越えて行く段階で、その都度小さな幸せをH君と確認しあって生きていくのかな。それが二人の間にできた子と一緒に生きて行くことで、「子はかすがい」ということなのかな、なんてぼんやり思う。

一子のみであっぷあっぷしているにも関わらず、34歳という年齢をきっかけに、第二子のことも考える。たとえ34歳で妊娠できても、生めるのは35歳。一般的には「高齢出産」と言われる年齢だ。高齢で出産することのリスク(子供に与える影響)と自分の体力(子供一人を抱えながらの妊娠とその後の育児)を考えると、そう先延ばしにすることはできない。期限を決めて、それまでに授からなければ、持たない選択をしようと思う。H君の(子供の数の)希望は昔から変わらず、ゼロか二人。ミコが生まれた時点でゼロという選択肢は消えたのだが、最終的には実際に妊娠して出産する私の希望に沿いたいと言っている。

定期収入のある生活から離れて(=労働社会から離れてH君の収入のみで生活するようになってから)4年、不安や焦りはないか?無いと言えばうそになるが、実際のところは、実は働いていた頃とあまりその程度が変わっていないような気がする。日本で働いていたころは、その仕事でのキャリアパスを考え、「この会社でこんな下働き仕事をしていていいのか」「もっと自分の責任で仕事ができるところに移らなければ」ということを考えていた。今は、その分野でキャリアを積むことは考えておらず、それどころかお金がかかること、具体的には個展、をやりたいと考えていたりする。このような発想をするようになったのはなぜだろう?日本を出てしばらく経って、周りにほとんど左右されなくなったことと、あとはH君が応援してくれているからかな。その分、H君に「妻子を養わねば!」という精神的負担がかかっているんだろうな。。

来年の今日、家族はどこで何をして、どんなことを考えているんだろう?これを不安でなく、楽しみと感じられることに感謝したい。