出産の記憶1


9ヶ月ぶりに掛かり付けの産婦人科医に会いにいった。先生は、10ヶ月になったミコを見て、フランス語の赤ちゃん言葉(?)でシュワシュワ話しかけている。思えば、妊娠28週でローマにきて以来ずっとこの先生に診てもらい、39週にミコを取り上げてもらったのだ。ふと、遠く彼方に置いてきた出産時の記憶が蘇ってきた。ミコのために記録しておこう。


出産3日前におしるし(出血)。便も柔らかめに。

出産2日前より、20分間隔で陣痛がはじまる。20分おきの微陣痛に、起きては寝るの繰り返し。おしるしも来たので、これが本当の陣痛なのかな?と思ったものの、想像していたほど痛くなかったので(それまで何度か不定期の陣痛があったが、それと比較してもさほど痛くない)、「本当にこれ?」と確信が持てずにいる。

出産1日前。陣痛と陣痛の間隔を計ってみたら15分おきに定期的にきている。H君のすすめで、一応夜寝る前に先生に電話してみる。「あなたの様子だと(腰の痛みがない、話し方がお気楽)まだだと思うわ。10分間隔にになったら、また電話くれる?」と言われる。この夜も、陣痛が来る度に起きては寝ての繰り返し。でも、相変わらず気になって起きはするが、痛みはそれほどではないので「本当にこれ?」と思っている。


出産当日の日曜日。朝9時にはすでに10分を待たずに鈍い痛みが来るようになった。先生に電話するが、この時点でも「本当にこれ?」と思っている。10分を切ったということで、念のため病院に来るように言われる。が、まだまだな気がして、2時間ほど、入院グッズの用意をしたり、掃除をしたりとのんびり準備をしながら家で過ごす。

11時を回る頃、「あ、これはちょっと違うかも」という程度の痛みになってきたので、自分で電話してタクシーを呼ぶ(←この頃はまだ、私のイタリア語の方がH君よりましだった)。H君、母上とカーシート(生まれた後、ミコを家に連れて帰るため)と入院グッズを持って車に乗り込む。2時間前までは、「バスで行けるかも。」なんて言っていたのだが、バスでは行けないと思う程度の痛みになってきた。


12時頃、病院に到着。先生もすぐに駆けつけてくれる。先生と一緒に部屋に入ってきた看護士は「この様子(私が痛がっていない)だときっとまだまだよ」というようなことを先生に言っている。ところが、モニターでミコの心音と陣痛の波をチェックすると、センサーが大きな波を描いた。子宮口もすでに3センチ開いているという。「本当の陣痛」がきているということでその時点で入院決定。とはいっても、すぐに生まれるわけではないとのことで、先生はお昼に出掛けると言う。その前に、浣腸(ミコが生まれる=私がイキむ時に排泄するのを防ぐため、剃毛(新生児を菌から守るため)、点滴をされる。されるがまま。私って、まな板の鯉状態、、なんて思う。

14時頃、先生が戻って再び子宮口チェック。4センチ。先生が予想した程は進んでいなかった模様。先生は、陣痛を促進させたいと言う。何度も先生に伝えていたが(といっても忘れているだろうが)、ドラッグによる陣痛促進はなるべく避けたい。その旨を再び伝え、もう少し待つことにする。全く、この人はすぐに薬を使いたがるんだから!それは避けたいと前々から言っているのに!エピデゥアル(硬膜外麻酔=無痛分娩のため)はどうするかなんてまた言っているし。。それもやらないと何度も言っているのに!次第に狭まってくる陣痛を感じながらイライラ。


14時半〜15時半頃、看護士にイタリア滞在許可証(ID)を求められるが、手元にはコピーしかないことが判明。ここで、看護士と先生が口論。看護士が、「コピーでは(入院、出産関連の)書類が作れない!」と言うののに対し、先生は「取りあえず今日はコピーでいいでしょう。家も遠いんだからっ!」と私たちを擁護。が、看護士はなかなか譲らない。私はいよいよ「うっ」とくるようになった陣痛に耐えながら、二人のやりとりを傍観。今、本当にその議論する必要あるの?それもここで、私の目の前で。私、痛いんですけれど。。

と、ここでH君二人に介入。「今日必要なら、僕が取りに行きますので!」。これが余計に先生をヒートアップさせる。「どうして、今(IDが)無いと行けないのよ!取りあえず今はコピーで、明日本物を持ってくればいいでしょう!」あー、先生さらにエクサイトしちゃった。どうでもいいけれど、皆外でやってくれないかな。私、痛いんだから!


15時〜15時半頃、子宮口が堅く、開きが進まないということで、子宮口の筋肉を柔らかくするための注射を打つと先生が言う。私は「え、それ、赤ちゃんに害はないの?!」と不信がって拒否。が、その直後、H君と母上に「先生を信じなさい!」と説得されてしぶしぶ注射を受けることにする。

また少しすると、今度は、人工的に破水させる(膜を針のようなもので突く)と先生が言い出す。羊水の中に入っている成分が陣痛を誘発させてくれるのだという。これにも、私は怪訝な表情を見せ、「大丈夫なの?」。先生は、「私の25年の経験を信じなさい!あまり陣痛を長引かせるのも胎児にとって負担なのよ!あなたのできるだけ自然に分娩したいという希望を尊重しての処置なんだから!」とまで言うので、これもしぶしぶ了承。H君も、母上も、「もう先生を信じて、言う通りにしなさい!」と先生を擁護。注射も人口破水も痛みはほとんど無かった。

注射と人口破水の後、急に陣痛の間隔が狭まり、腰とお尻の間のピンポイントに一カ所に激痛が走るようになった。そのたびに、うっ!と呻き、H君にその部分を押してもらう。痛みを軽減させるための体勢をいろいろ試みた結果、一番ましなのが、四つん這い。一番辛いのが仰向けと普通に座っている体勢。ミコの心音と陣痛の波をモニターでチェックする時は座っていなければならず、この間の陣痛が一番辛い。この痛みは、例えて言うと、電気ショックを受けているような感じ。突然「うわっ!!」と来ては何事もなかったのように去る。


子宮口5センチくらいから、堪え難い痛みとなってきた。激痛が来ては、H君に激痛部分を押してもらうというのを繰り返しては、先生は定期的にミコの心音、陣痛の波、子宮口をチェック。いよいよベッドの上でのたうちまわるようになった時、先生が"Do you want to push?"と聞いてきた。え?push(イキム)したいかって?もう、間隔置かずにやってくる激痛ショックに、イキみたいかどうかなんてわけが分からなくなっていた。

"Yeah, why not?!"と適当に答えたら、すぐに看護士が数人やってきて、皆で私のベッドを囲んでベッドごと個室から移動させようとする。私は仰向けに寝かせられる。これは一番辛い体勢。部屋を出るタイミングに大きな陣痛が来て、痛さのあまり寝ていられず、ベッドから転げ落ちそうになる。「仰向けは痛いから座らせて!」と苦しみながら言うが、「規則上、移動中は仰向けの体勢でないといけないの!」と先生に言われて寝かせられる。痛い痛い痛い。


エレベータで地下の分娩室に運ばれ、分娩台に乗せられる。分娩室にはH君だけしか入れてもらえないため(立ち会いは一人だけ可で、事前にサルモネラ菌テストをクリアしている必要がある)、母上はさっきまでいた個室で待機。

ここからはあっと言う間だった。すでに分娩台に登った時点で、「あ!、もう頭がでてきてるわよ!髪が見える。見て見なさい。」と先生がH君に告げると、H君は「うわっ、なんか黒いのが出てきた!」とエクサイト。この人、人が苦しんでいる横で、面白がってる。なんなんだろう!なんて思っていると、先生が私に向かって大きな声で"PUSH!"。


私は激痛に耐えながら「え?」と思う。そして、"Push? How?"と答える。Pushって一体どうすればいいの?!予習してこなかった!先生はへ?という顔をしたあとすぐ、「うんちするように押し出すの!」と小さく叫ぶ。オーケーと、言われた通りにやってみる。

何度か"push"した後、会陰がスパっと切られ(先生が人工的に切る)、さっと痛みが走った。そしてまた"Push!"と指示されそうするが、その直後"STOP!"。え?なぜ?と思うが、ストップと言うのでストップしてみる。その後、"Slowly, slowly, slowly..."と言われるのにあわせて、抑え気味にpushする。もうこの辺で、力が尽きてきて、強く握っていた手すりを離してしまいそうになる。ここで、私の横でずっと私の頭を支えながらもう一方の手でビデオを回していたH君が、「もうすぐだー!」と叫ぶ。

え?もうすぐなの?じゃあやるしか無い!と気力で上体を起こし、もう一度push!する。すると、ぬるっとしたものがくるっと回転する感覚とともに大きなものが私の中から外に出てくるのを感じた。ミコがこの世に誕生した瞬間だった。


長くなったので、今日はここまで。