祖母逝く

父方の祖母が亡くなった。祖母は、認知症で自分の子供も認識しなくなり、随分前から入院していた。父の本家(祖母の住い)が富山の山奥と遠かったためか、父に兄弟が多く、祖母には他に孫曾孫が大勢いたせいか、私は数えられる程しか会っていない。だから、さほど悲しいという感情は無い。

父はどうなのだろう、とふと思った。私にとっては縁遠い祖母でも、父にとっては母親だ。少なくとも幼い頃は一番近しい存在だったはずだ。父は今どう感じているのだろうか。自分と物理的精神的に繋がっていた人を失ったのだ。もちろん喪失感はあるだろう。葬儀に参列するため、自分の生まれ故郷に戻って、兄弟姉妹に会って、昔話をして、いろいろ母親との思い出を振り返っていることだろう。もしかしたら涙しているかもしれない。

同時に、勝手に、しかしながらかなりの確信をもって思う。父は意外に早く母親を失った喪失感から立ち直るのではないか。それは、祖母の年齢を考慮すると大往生だったということもあるが、子供と母親の関係はそのようにできているように感じるのだ。

子供は、母親のお腹の中でぬくぬく10ヶ月過ごした後、おぎゃあとこの世に誕生する。お腹の外の世界で頼りになるのは、それまでへその緒で繋がっていた母親のみ。子供にとって母親は衣食住から精神の安定まですべてを提供してくれる絶対的な存在。そこから、少しずつ、自分でご飯が食べられるようになったり、歩けるようになったり、しゃべれるようになったりと自立していくにつれて、子供の関心は母親から外の世界へ向かって行く。

年を追うごとに、子供はより外へ自分の世界を求める。母親から父親っ子になる子もいるだろう。仲の良い友達ができ、思春期には好きな人もできるだろう。その後、ガールフレンド、ボーイフレンドができ、結婚して新しい家族が増えていく。

それぞれの過程で、赤子の時に抱いていた母親への執着度は薄れていく。そして、終いには近くにいてもいなくて、も空気のような存在として、また、自分の中のDNAとして静かに存在しつづける。子供にとって母親とはそういう存在なのではないだろうか。